「神の独り子が」 05.10.30
ヨハネ1:14〜18
主イエス・キリストに対して、どのような感覚を持っているの
でしょうか。親しみを感じると言う方もあれば、やや緊張すると
いう方もあるかもしれません。
「使徒信条」では、「我はその独り子…を信ず」と告白し、
イエスさまを神さまの「独り子」と告白します。「父のふところに
いる独り子なる神」(18節)と呼ばれる方です。
そんな神さまの独り子ですから、本来ならば、私たち人間とは
釣り合うことのないお方です。そのようなイエスさまが「肉となって、
わたしたちの間に宿られた」(14節)と、聖書は語りかけてきます。
イエスさまが誕生されたクリスマスの出来事は、独り子なる神が
肉となってくださった奇跡の出来事です。「肉」とは、罪を抱える人間を
表す言葉です。醜さ、情けなさ、悲しみ、はかなさを抱えている人間で
あり、そこから抜け出したくても抜け出すことのできない穴の底にいる
ような状態にいます。その様な所に、肉とは無縁の独り子が
来られたのです。穴の中に入ってきてくださり、もがく肉なる人間の
傍らに来てくださったのです。神さまの所に行くことができないで、
穴の中でもがいている人間のところに、神さまの側から近寄って
来てくださったのです。
どうしてでしょうか。肉ゆえに苦しむ私たちと共に過ごすためです。
人を支え、励まし、慰め生かすためにです。それだけではありません。
何よりも、肉なる人間の罪をすべて担って、十字架で死ぬためでした。
そうして、独り子なる神は、人間に滅びでなく赦しと救いをもたらして
くださいました。人を肉の穴から引っ張り出し、私たちを聖なる者として
下さり、兄弟と呼んでくださいました。このことは、当たり前のことでなく、
信じられないような驚きの出来事です。
独り子なる神さまが、自分の救いのために肉となられた。
このことに勝る驚きは、この世にはありません。
私たちの生涯には、様々な驚きが起こりますが、
主イエス・キリストの驚くべき出来事に目を注ぎ、
その恵みに励まされ、力を得て、進んでいくのです。